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まえがき

今回の登場人物は「吉田雅夫」さん。

ご存知の方は多いかと思いますが、彼は日本を代表するフルーティストです。

2016年現在はもう亡くなられていますが、彼は日本フルートの歴史に多大な功績と多くの影響を与えた人物です。

また、日本フルート協会設立と同時に初代会長となり、生涯フルートを愛しフルートと共に過ごしていきました。

彼の演奏する楽曲は繊細で細部の音までを表現する印象を受けます。

そこで今回は吉田雅夫さんがフルートを始めた時期や彼の生涯はどのようなものだったのか、いろんな角度から掘り下げて書いていきたいと思います。

それではどうぞ!!

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プロフィール

吉田雅夫1
名前:吉田雅夫
生年月日:1915・1・2
出身地:北海道亀田郡亀田村(現函館市)

吉田雅夫の受賞歴

数多くの受賞歴がある吉田雅夫さん。

ざっと受賞歴をまとめてみましたので、ご覧ください。

1976・第27回NHK放送文化賞受賞。
1980・紫綬褒章。
1986・勲三等旭日中綬章およびNHK交響楽団有馬賞受賞。
1989・モービル音楽賞受賞。
1994・第50回日本芸術院賞・恩賜賞 受賞。

本当にすごい方ですね。

吉田雅夫の学歴と留学

大学は慶應義塾大学法学部法律学科(フランス法)卒業後、会社勤めをするが自分に合わないという理由から1年ヶ月で退社。

その後、東京音楽学校(現東京藝術大学音楽学部)に入学するも軍事教育ばかりな授業に嫌気をさし、音楽の勉強ができないという理由から半年で辞めます。

また40歳の時にヨーロッパへ留学へ行きます。

チューリッヒでアンドレ・ジョネに約1ヶ月、その後ウィーンでハンス・レツニチェックに学んだそう

吉田雅夫さんにとってこの留学はそれまでの自分の奏法を確認・修正するとともに、音楽をより深く学び、その周辺文化を吸収する場となった。(wikipedia一部抜粋)

とここでちょこっと補足ですが、なんと吉田雅夫さんは40歳の時まで師範はいなかったそうで
40歳までフルートを独学でやられていたみたいです。

まさに向上心の賜物です。

圧巻です。

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吉田雅夫はどんな生い立ちだった?

吉田雅夫2

フルーティストのイメージがある吉田雅夫さんですが、一番初めに始めた楽器は”ピッコロ”でした。

その時の年齢は15歳。

ピッコロを始めた間もなくフルートを始めたそうです。

ということは中学生の頃だったのですね。

どっぷりとフルートにはまり込み、高校は音楽学校へ行きたいと思うようになります。

がしかし、その事を親に言ったところ反対されます。

その後、慶應義塾大学法学部法律学科(フランス法)に入学。

(高校はどこに行かれていたのはわかりません)

15歳でピッコロを始めた吉田雅夫さんは幼少期の頃から音楽に興味があったそうで
フルートを始めて早くに才能が開花したのも「好きこそ物の上手となれ」という言葉があるように、
好きだからたくさん練習して上手になったのでしょう。

吉田雅夫の実名を使わない理由とは?

吉田雅夫という名前は本名ではなく芸名で、本名は”吉田正雄”です
フルーティストは実名で活動される方が多いなかどうして吉田雅夫さんは芸名を使っていたのでしょうか

なにか音楽と関係性があったりして・・・そんな考えもするのもつかの間、意外なエピソードを発見しました!

さかのぼるのは吉田雅夫の大学時代

当時、慶應義塾大学法学部法律学科(フランス法)で学生をしていた吉田雅夫さんでしたが、同大学に”同姓同名”が3人もいて、大学に届く自分とは別人宛の月謝の督促状が届いたことに腹を立て、それ以降「吉田雅夫」の名前で活動する事にしたそう

なかなか同じ大学に3人もの同姓同名がいるとはなかなか珍しいですね(笑)

ということでそのような理由から「吉田正雄」改め「吉田雅夫」にされたのですね。

納得です!

まとめ

いかがでしたか?

吉田雅夫さんが日本のフルート界に多大な影響を与える事ができた影に、たくさんの吉田雅夫さんの努力があったんですね。

吉田雅夫さんの功績はきちんと後世に受け継がれています。

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